ラジオといえば、小学生でNHKの基礎英語を聞いたり、中学入ってからは、FM新潟でJFN系列の番組を聞いたり、深夜に雑音混じりのQRを楽しんだり。
どっぷりでもないけど、小さいころの方が今よりラジオを聴いていたかな。
自主映画にはまった高校生になると、県域第二波のラジオ局ができるとニュースになり、試験放送の末、開局。自分は新津のコミュニティラジオなんかもやってたりした。
大学に入ると、友達からアシスタントディレクターのバイトを紹介され、マイケルとりょんりょんと、朝の番組のCD替えやキューシートメールの持ち込みなどなど楽しませてもらったな。
2年目には社員に。取材に、原稿に、選曲に、キュー振りに。すごく楽しかった。仕事だけじゃなく、本当色んな経験させてくれた。
クリックリクエスト、Qshot、初めて触る機械たち。ワクワク止まらなかったな。
でも、3年目、それまで局自体すべての制作と営業をまかなっていた会社の新潟撤退に伴い、上京、
社長さんに声を掛けてもらい、制作会社所属のまま上京。
それを機に当時付き合っていた先輩ディレクターと入籍。翌年にはひとりめの子供も。
それからは、在京局のお仕事やらテレビやらを経て映画に戻る。
番組で思春期を楽しませてくれて
初めて、きちんと所属してお仕事をさせてくれて
メディアのお仕事、音楽、人間、色んなことを経験させてもらって、
家族まで作らせてくれた。
上の子はもう高校生。自分がFMPORTを聴き始めたころの年齢に。
20年前、FMPORTができてなかったら、今の自分はいないんだ。
でも、自分は、17年まえに見限ったんだよな。
それなのに、今回、音源捜索のお手伝いができた。
もらったものに対しては本当微々たるものだけど、でも、でも本当にうれしかったな。
ありがとうございます。
自分が在籍した時代からずっと続けている方、後輩、自分が全く知らない人の方が多いけど、開局前から20数年携わってきたみなさん、本当に本当にお疲れ様でした。
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